ナン中の生徒と共に、障害者の方々の家を訪問

↑ D班の訪問先の様子。

A班 バンバトーン サイノーイ へ
B班 ノンタブリ県 サイマー村 へ
C班 ノンタブリ県 パクレット市 へ
D班 バンコク都 クロントイ(タイ最大のスラム街)

◎ A班の感想

 ・ 同情してしまった。
 ・ はじめて、体の不自由な人たちの家へ行った。

◎ B班の感想

 ・ 道が細くても車椅子をもらったとしても、通りにくいし、第一、持って帰りようがない。
 ・ 15歳なのに小さくて寝たきりで動けない。
 ・ 体に合う車いすがなさそうなので、これからもさまざまな種類の車いすを直していきたいと思う。
 ・ 一番不便なことは、トイレだといっていた。

◎ C班の感想

 ・ 狭い家に1人暮らしだったので、世話をしてあげる人がついたらいいと思った。
 ・ 交通事故で半身が動かない人は、20年くらい寝たきりだったので、全身が動かなくなってしまった。
 ・ 9歳位の子供、だんだん親が面倒を見るのをやめてしまった。かなり重度で学校にも行っていないようだった。

◎ D班の感想

 ・ 下水がほとんど整備されていなくて、とても汚かった。
 ・ 散歩をすることは、とても重労働なので、車椅子があれば便利だ。
 ・ 1日中家の中にいるようだった。

トーポンさん・玉木さんの話

☆ トーポンさんの話。

 もし障害者にならなければならないとすれば、どうしますか? あなたは障害者になりたいですか?……なりたくないはずです。障害者は自分が障害者になるということを選ぶことができないはずです。トーポンさんは子供の頃、普通の子供でした。結婚して家庭を作ることが夢でした。ところが、車の事故に遭い、体が動かなくなってしまいました。
 トーポンさんは、僕たちにいくつかの事を訴えていました。
  ・ 障害者の人々は心は大変強いので今日会った人たちをそんなにかわいそうと思ってはいけない。
  ・ 私たちがやっている事は障害者にチャンスをあげることです。だから、もし障害者の方を見かけたら、チャンスをあげてほしい。もしかすると、その事で、その人がより強くなれるかもしれません。
  ・ ぜひ、相手のことを考える人間になってほしい。隣の人だけでなく、日本の障害者もタイの障害者も世界全体の問題として考えてほしい。
 そして、今日した経験はとてもいい勉強のはずです。それを身に付けてほしいと思います、と話を締めくくってくれました。

☆ 玉木さんの話。

 玉木さんは生まれたときから、ずーっと障害者でした。だから、彼の行動は自ら普通のことと思っているし、全く、自分をかわいそうとは思っていません。今日の訪問の感想で同情しているとか、かわいそうだと思った人が悪いわけではなくて、障害者をサポートする人が少ないだとか、車いすが少ないというふうに、環境が障害者に適合していない社会が悪いです。だから、こういう社会がかわいそうだと主張していました。
 玉木さんもトーポンさんと同様に今日あった人、見た人を経験に活動をしていって欲しいといっていました。1人1人の力は大きくない。大切なのはいろんな人がいるということを知っているということ、それを踏まえて、自分がどうすればいいのか、何ができるか、何を考えるか、そういうことを考えることが大切だと語ってくれました。

☆ 質問コーナー

今日訪問した方のように、車椅子があっても、外に出て行かない人は、たくさんいるのですか?
  → 私たちに必要なのは靴。障害者に必要なのは車いす。

日本では公共施設を利用するのは不便か?

  → タイと比較すると、不便ではない。しかし、普通に生活するためにはまだまだ改善が必要。みんなが暮らしやすい街を作らなければならないと考える気持ちが必要だ。障害は超えられるはず。

政府の方が嫌がって身に来ない。

  → みんなが集まって主張すれば認めてもらえるはずだ。こちらから、出向いていくことも大切だ。

本日の感想

 スラムの第1印象は本当に人が住んでいるのか思いました。それに、下水やごみの処理も曖昧なので、悪臭がすごかったです。でも、そんなところでも一生懸命に生きている人々がいるのを感じると、人間の象徴だと思いました。スラムでは、交通も不便なので、車いすをもらっても、十分に使用できないので、まず交通などに力を入れてほしいと思った。  (立本)

 車いすを直して送っても、現地ではまだまだ困ることがある。僕たちはただ直して送るだけで、充実感に浸るのではなくて、もっと奥までやっていかないといけないと思った。 (岡)

 現実には障害者の人々は「普通」と呼ばれている生活がしにくいのだなぁと思ったし、そういうことを改善していきたいと思った。  (中西)

 いろんな障害を持っている人と会えて、いろんなコトを知った。車いすを使って町やその他いろいろな所に行ってほしい。  (小林)

 言葉が思いつくよりもまず、ショックのほうが大きかった。「スラム」という言葉から、想像していたよりもはるかに汚かった。訪問した所のおじいさんが、涙を流して差し述べてくれたことが、忘れられない。  (堤)

 50年も外に出ていない人がいると聞いた時にはかなりショックだった。町のほうまで連れて行ってあげて、面白いということを教えてあげたいと思った。そうすれば、自分から行きたいと思ってくれるかも知れない。  (深田)

 訪問先の人たちは、みんな笑顔で親切に迎えてくれたし、B班のナン中の人も木の橋を渡るときとかに助けてくれたりして、うれしかった。タイはかなり貧富の差が激しい国だと思った。月に3000バーツから4000バーツしか収入のない家もあれば、高級車や広い土地を持っている人もいて、なんだか、フクザツな気持ちになった。
 訪問先では、質問タイムがあったのに、私は何も聞くことができなくって、それがすごく心残りだった。
 車いすをただ送れば、誰かが使ってくれるって思ってたけど、実際にはサイズや種類の問題などがたくさんあって、みんながみんな喜んで使うことができるわけじゃないんだなと思った。   (岩本)

文章: 太田  写真: 菊川